通りすがりのはてなブログ

1日1つ、答えを積み重ねていこう。

思考散歩

試しに、何も考えずにブログの記事を書き始めてみた。思考をそのままリッチテキストファイルに落とし込んでいく。

こうして文章を打っていると、予測変換がタイピングを手伝ってくれる。この予測変換データは、誰かがビッグデータとして活用しているのだろう。キーボードソフトの会社はデータを我々のPCから吸い上げていくのだ。未だに自分の名前をちゃんと変換してくれないのは妬ましいが。

タイピングが止まる。思考が止まる。何を書けばいいのだろう。

こんな雑記ブログを書いていると、時折、自分はコンテンツ力がない人間だなと思う。自分のコンテンツの無さを補完するために、知識集めや思考整理のために、ブログが使われているのは言うまでもない。あるいはそれはすでにブログを開設した目的に内包されていたのかもしれない。

情報と知識の違いというものを考えたことがあるだろうか。情報は持っているだけでは役に立たない。その使い方、それを使う場面までを知っていて、初めて情報が知識となる。知識は情報の上位互換。僕はそう思う。

このブログを書くこと、あるいは、他の方のブログを読むことの目的は、一言で言ってしまえば、情報集めである。じゃあ、それが知識として果たして生かされることがあるのだろうか。あるいは、情報が生かされ、知識となるタイミングというのは、事前にわかるものなのだろうか。社会を引っ張る優れた人たちは、おそらく、このタイミングを的確に予知できるのだ。

僕は、物理学で宇宙を構築していくように、コミュニケーションを構築しようとしている。そしてそれは非常に疲れる。最近ぐっすり眠れるのはそのせいであり、そのおかげだ。まあでも、自分の限界を試すのは、楽しい。努力でどこまでコミュ強に近づけるのだろうか。試し甲斐のある命題だ。

またタイピングが止まる。連想ゲームをしていると、自分の中へ中へと思考が発展していく。そして自分が出した答えにたどり着く。

アウトプットは、自分を発掘していく行為だ。自分を整理し剪定するための行為なのだ。思考を体外に出すだけで、なぜこれだけ違うのだろう。人間という内的存在はどうにも不可解である。

 

P.S. やってて面白いので、シリーズ化します。