違うブログ

どこかの誰かが書いたやつとは違うブログのこと

ハッピー⇄アンハッピー・バランスドコンテンツ

インスタグラムやユーチューブのコンテンツは、絵を描きました!すごいでしょ!旅行行ってきた!綺麗でしょ!と、基本的には美しい側面だけが切り抜かれているので、それを延々と見ていると世界観が歪むと思うんですね。もっと言うと、努力することに対して抵抗が生まれるんじゃないかと思うんです。凄い絵が描けるまでに必要だった積み上げの時間とか、旅行に行くまでに仕事を頑張った話とか、そういう途中経過コンテンツはウケないじゃないですか*1。まあもちろん、それでも本気な人たちは、そういう成果物を見て私も頑張ろうという気になり、実際に必要な労力をかけるんでしょうけども、僕のような大半の人間はそうはいかないですよね。

何を隠そう、僕がこんなことを書いているのは、僕自身が努力が苦手になってきているからです。高校の頃なぜあんなに勉強時間を取れていたのかわからない。今あんなに集中力続かないわ。それを何かのせいにしたいからこう書いているのだと思ってくれて構わないです。

ま、ともかく、そんな多幸感が溢れるインターネットコンテンツによる世界観の歪みを補正してある種バランスを取るように、僕はドキュメンタリーを観たりノンフィクションを一定量読んだりしています。と言っても強く意識してそうしているわけではなく、結果的にそうなっているだけの話です。でもそれはそれでまた不自然ですよね。アメリカの辛口系のコメディアンBill Maherが言っていたセリフが脳裏をよぎるわけです。「なぜ多くのリベラルは悲しくありたいように振る舞うのか?悲しい気分になっていれば、問題解決に向けて行動せずとも解決に貢献できているような気分を味わえるからでは?」ま、こんなことをあれこれ考えて書いている時点で、Bill Maherの失笑を買いそうですけども。

youtu.be

インスタグラムやユーチューブで多幸感を摂取しても、あるいはドキュメンタリーやノンフィクションで悲哀を摂取しても、いずれにせよ行動には繋がってこないのです。別のアプローチじゃないとダメですね。

*1:一部の例外として例えば「過去10年毎日絵を描いてきてここまできたぜ」ってのを短くまとめたコンテンツはウケる部分がある。でもそれがウケるのはダイジェスト版だからであって、実際に必要だった労力を表現しているとは言い難いよね。