ふと思ったんだけど

言葉にすれば、何か分かるかもしれない

生きたいのか?それとも、死にたくないだけか?

こんばんは。生存中の作者です。

この記事を読んでくださっている皆さんは今、生きたくて生きていますか?それとも、死にたくないから、仕方なく生きていますか?

死にたくないという心理って、人間に普遍的にあると思います。でも、それと同じことを指すはずの「生きたい」という明確な願望を、僕は持ったことがないんですよね。

なぜだろうか?

 

死ぬ理由が無いから生きている

僕自身は、自分が生きる意味をまだ見出だせていません。むしろ、生きる意味の獲得に向けて現在奮闘中です。

就活もその1つですし、そのあとのキャリア開発もその1つでしょう。寿命が来るまで続くプロセスだと思っています。

「生きる意味が分かっていないのに、なんでお前は生き続けているのか?」という問いに対しては、「死ぬ理由が今のところ無いからです」と答えるしかありません。

実際はわかりませんが、社会に生きている人のほとんどは自分と同じなんじゃないかって思います。死ぬ理由が無いから生きている。

死ぬ理由が無いから、僕は生きている。これもある意味、死にたくないという願望の現れです。

普通に生きていれば、死にたいという心理は生じない…そういう風にできているのだと思います。

 

心持ちの問題か

僕は今、生きる理由を探しています。そもそも人生そのものが、自分が生きる理由を獲得するための取り組みであると言って良いのかもしれません。

既に生きる理由を見いだすことができている人、つまり生きがいを見つけられている人は、死にたくないという思いから生きているわけではないと思います。もっと積極的に生きているのだと思います。この見方の違いは、自分次第なのでしょう。

生きたいという願望を、現時点では僕は抱くことができていません。

ですが、自分が生きる意味を見出せれば、生きたいという願望は自然と成立するのだろうと思っています。

 

いずれからも逃げられない

生死は原理です。そういう風に出来ているものとして僕らは了解しなくてはならないものです。そしてその中で僕らは生きる理由、死なない理由を探し求める。これもまた原理であり、人間の宿命なのだと思います。

 

それでは!

 

余談

死にたいという願望が不自然か否かということに関しては、議論の余地があります。死にたいという願望が、生物学的進化上有効なプログラムとして働いている可能性もあると思っています。しかしそれについて述べると、話が少し危険な方向に進むので、ここではやめておきますね。