ふと思ったんだけど

言葉にすれば、何か分かるかもしれない

ヤツが出た

こんばんは。見てしまいました、作者です。今日は奴らについて書きます。

なぜ奴らは奴らなのか

 

人間には、いくつかの宿命がある。

奴らとの遭遇は、紛れもなくその宿命の1つだ。厚生労働省による正確な統計は無いが、おそらく、奴らに1度も遭遇せずに生きることは不可能である。奴らとの遭遇は、人生における関所、現世におけるケルベロスである。

そしてもう1つ宿命がある。それは、見たら殺すしかないということだ。食われたくなければ、食わなくてはならないのだ。選択の余地はない。もはや奴らを見ることそのものが罪であり災いなのである。

そういう意味では、奴らは我々の中にいる、と言ってよい。奴らは我々のために生き、我々のために死ぬのだ。

 

ふと見れば、奴らはそこにいる。

なぜだ。なぜ、我々が振り向いたその時刻に、そして地球上の他でもないその絶対座標に、奴が現れなくてはならないのだ。永遠に隠遁していてくれて構わないのに、なぜ奴らは明るみに返り咲くのか。きはめて不条理なり。

しかも、我々が奴らを察知する能力は、異常なほどに高い。To Do or Not To Doと言って悩んでいたのはシェイクスピアだが、その視角のなかに、奴がいるか、いないか、それを識別する画像処理能力。これは紛れもなく、人工知能に決して代替されることのない、人間の独自機能の1つである。

 

そして我々は、文明の叡智を以て奴らの殲滅にあたる。

その最たるものが新聞だ。

新聞をきつく折ることはリスクが高い。なぜなら圧力が大きいからである。インパクト時に汚染が広範囲に及ぶ危険性がある。そして、しなりも重要である。棒は点で当てるが、その物体にしなりがあれば、面で当てられる。打率が上がるのだ。

そして何よりも大事なのは、それが新聞であることだ。上の見出しで、文明の叡智、と書いた。新聞とはまさに、現代文明の最先端の情報が詰め込まれている。その最先端の情報でやつらに一撃を食らわすのだ。

人類数百万年分の知識の重さが、一身に奴らの上に降りかかる。彼らに生存の余地は許されていないのだ。

 

ちなみに、取り逃がしました。

 

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それでは!