ふと思ったんだけど

言葉にすれば、何か分かるかもしれない

あれは人ではなくスマホである

こんばんは。今回はなかなか穿った作者ですよ。僕のなかでの大発見です。

スマホが引き起こす不思議な行動、どうやって説明するか

 

その距離、10cm

多くの人は右利きです。従って、スマホを持つ手は左手です。

そして皮肉なことに、胸の中心のやや左側には、大事な大事な心臓があります。スマートフォンは、我々の心臓に最も近い位置にくる電子装置なのです。

これ、とても象徴的だと思いませんか?

古代エジプトの壁画の、死後の世界への入場審判の場で天秤に載せられた心臓のイメージが呼び起こされます。心臓とスマホが、腕という梁で天秤にかけられている。もはやスマホは神なのです。

実は、このスマホの「重み」が我々の空間感覚を歪めます。

 

プロクセミクス

エドワード・ホールという学者が、プロクセミクスという概念を提唱しています。

例えば、スズメの群れが電線に止まっているとします。その一羽一羽の間には、10cmほどの距離が空きますよね。

あるいは、地面を歩くスズメを追いかけるとしましょう。一定の所まで近づくと、スズメは飛び立って逃げてしまいます。

このように、世界は見えない寸法でできています。人間にもこうした見えない寸法があります。それらを調べていくことによって、居心地のよい空間を作ろう!という発想が、プロクセミクスです。パーソナルスペースという概念も、プロクセミクスが生み出しました。

 

スマホ中心型プロクセミクス

さて、プロクセミクスをスマホで再解釈します。

満員電車では、空間を巡る熾烈な競争が生じています。

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そして、各個人の空間のコアにあるのが、多くの場合スマホです。スマホを扱う空間の確保のために人は他人を押し退け、意地でもスマホを使おうとします。

スマホが至高の存在であって、それを守るかのように人間が体を張る」という驚異的な構図がそこにはあります。スマホが神殿だとしたら人間は鎮守の森であり、スマホが古墳だとしたら人間は人形埴輪であり、スマホが地球だとしたら人間は月なのです。

こうした空間では、人ではなくスマホを中心とした寸法体系が出来上がっているのです。それを勝手にスマホ中心型プロクセミクスと僕は呼びます。

 

スマホによる異常な振る舞いを説明できる

「あれは人ではなくスマホである」と読み替えることで、説明できることがいくつもあります。

例えば、スマホを持つと人間の歩行スピードが遅くなります。しかしこれは人間中心型プロクセミクスの観点です。あれは、人が歩いているのではなくて、スマホが歩いているスマホは別のものですから、人間と移動速度が異なるのは当たり前です。だからスマホを持つと移動速度が低下するのです。

あるいは、空いている電車の中でなぜかやたらと接近してくるヘビースマフォラーがいます。しかし彼がおかしいのではありません。スマホの問題です。たまたまスマホのパーソナルスペースの半径が、人間のそれよりも小さいだけなのです。

 

あれは人ではなくスマホである。そういう観点で見ると、新鮮な感覚を味わえます。ぜひやってみてください。

 

こんな距離もどうぞ

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それでは!