違うブログ

どこかの誰かが書いたやつとは違うブログのこと

時間伐材

さあ、ブログを書く時間だ。陰鬱な気分。虚無。何も手につかない。そんなとき、スマホを手に取り、ブログを書き始めることがある。僕のスマホのメモ帳には、ブログのネタがたくさん蓄積されている。その数80くらいだろうか。その中から書けそうなものを選び、こうして記事を書き進める。どうせ非生産的な時間になるのは分かっているので、ブログにその時間を割いても問題はない。

間伐材を利用することは有意義とされる。「どうせ廃棄するのなら、割り箸のようなものに加工し、有意義に使ってから捨てよう」という思考がそこにはある。僕は時折「時間」を間伐材的に使っている。どうせ無駄になる時間なら、ブログに使って捨てよう。そういう精神だ。

僕の趣味はブログだ。そして趣味は、無意味さを埋めるのに役立つ。趣味だと言えば、時間を有効に活用しているように聞こえる。それが現実逃避だとしても、趣味だと言い張ってしまえば、誰も何も言えないのだ。自分も騙すことができる。

しかし、間伐材がそうであるように、結局は時間を廃棄している。加工に力を注いでいる分、余計に時間を廃棄していると言ってもよい。本当は、時間を使って何か有意義なものを生産しなくてはならない。あるいは、その時間そのものを無くさなくてはならない。間伐材は「あるなら使おう」の精神だ。無くてよいなら、無い方がよいのである。

ブログという趣味に生産性を求めることは間違っている。しかし、そう割り切ることができないあたり、僕はつくづく不合理な生き物だと感じるのだ。