違うブログ

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主張せずに存在感を発揮できるか?

こんばんは。帰属意識を持てない作者です。今回は疎外感、帰属意識と主張という行為について書きました。

僕はなぜ疎外感を感じるのか

 

主張は疎外感を封じる

僕が他人と話すのは、集団の中で自分の存在を証明するためだ。

しかしそれは、自分が話題の主導権を握ることを前提としている。それゆえに、少人数なら何とかなるものの、主張する人々の中に放り込まれた時、僕は圧死する。

一方で、自分が主張しているとき、疎外感という厄介な考えは脳裏に浮かばない。主張することで、疎外感に関する思考を封じ込めることができる。

会話では僕は「主張するタイミング」という獲物を虎視眈々と狙う狩人だ。しかし大規模な集まりとなると、同じ獲物を狙うハンターの数があまりにも多すぎる。狙いを外すことが許されない。僕はその絶大なプレッシャーに簡単に負けてしまうのだ。

 

帰属することは必要か

帰属していなくたってよい、という考え方もある。他人なんてどうでもよい。そう心から思えるようになりたい。

僕はある程度それに成功している。僕に言わせれば、居場所は僕が作ることができるものではないし、誰かが僕に提供してくれるものではない。そんな架空の「居場所」に配慮したところで、「居場所」は僕に優しくしてくれはしない。

居場所は存在しない概念なのだ。だから僕にできることは、自分が主張したいことをテキトーに主張するだけである。

居場所という概念は存在しないが、それでも疎外感を解消することはできない。居場所と疎外感の関係は一体どうなっているのだろう。それについては、また別の機会に考察しよう。

 

もっと柔軟に考えたい

僕の根本的な問題は、「主張せずに疎外感を封じ込める方法を知らない」ということだ。こうやってブログを書いているのも、主張という行為を確実に押さえることで、疎外感の闇な思考から逃れることができるからだ。

でも、案外そんなに難しいものではないのかもしれない。「1日に可能な主張の量」があるとすれば、僕は夜の集まりに至るまでに確実にそれを使い果たしている。

だが、昔の僕であれば、それですら出来なかった可能性が高い。そこを自分のキャパシティーだと割り切って、「1日その時点まて持った」という達成感を、素直に喜べるようになりたい。満足を知れるようになりたい。

ただ、そう思えるようになるまで、まだ少し時間がかかりそうだ。

 

こんなのも書きました。

sourceone.hatenablog.com

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それでは!