ふと思ったんだけど

言葉にすれば、何か分かるかもしれない

睡眠中心主義宣言

こんばんは、おねむな作者です。

「睡眠時間を確保する」をライフプランの中心に据えたらどうだろうか?とふと思ったのです。1つの思考実験として掘り下げてみようと思います。

 

睡眠中心主義概論

僕の提唱する睡眠中心主義の基本コンセプトはこれです。

十分な睡眠を摂ることのできる人生こそ理想的であり、誰もが十分な睡眠を摂ることのできる社会こそ理想的である

ここで言う「十分」はあくまで相対的な概念で、7時間睡眠したいという人は7時間を目指せばいいし、4時間でいいという人は4時間で起きればいい。その人が十分であると感じられればいいのです。

睡眠中心主義とはいえ、例えば「仕事をほったらかしてでも睡眠!」と言っているのではありません。例えば、仕事がうまくいっていれば良い睡眠が十分に摂れるでしょうし、睡眠が十分であることで仕事がより一層捗る、なんてことが考えられます。そのような正の連鎖の実現可能性こそが睡眠中心主義の根拠です。

勿論、睡眠時間の確保を巡る闘いは、ある程度は個人の中で処理される必要があります。例えば、個人がだらだらと非効率的な作業をしたことによってその個人の労働時間が増える事態は、個人が努力を以って解決しなくてはなりません。

やりがいのある仕事をするとか、お金をたくさん稼ぐとか、人生の価値観は人それぞれですが、どんな価値観に基づいて設定された目標であれ、それを達成するためには十分に睡眠を摂っていることが必要最低条件だと思います。だから睡眠を重要なものとして改めて位置付け、その確保を優先して考えるべきだと思うのです。

 

批判に対する防御

自分の主張を固めるために仮想敵に反論しておこうと思います。

例えばこんな批判が来るかもしれない。

人生は睡眠以外のところが重要であり、睡眠を至上に据えるのは本末転倒である

人間には最低限の睡眠が必要ですが、その最低限は、どう守るのか?睡眠以外ばかり重視したら睡眠はひたすら搾取される対象になってしまいます。睡眠時間は地球の資源のようにひたすら掘られる弱い存在と言っていい。だからこそ全力を以って守らなくてはならない。それゆえの睡眠中心主義です。

こういう批判もあるかもしれません。

これは睡眠を許されたブルジョワ的人間のみに与えられる思想だ

必ずしもそうではないと思います。確かに経済的に余裕のある人間は長時間の睡眠を取る余裕もあるかもしれない。けど裕福だからと言って睡眠時間が十分かというとそんなことはないはずです。また、睡眠中心主義はビジョンです。睡眠を許されない過酷な労働環境が存在することは事実。だからこそ、睡眠中心主義という理想を掲げ、その人たちが十分に睡眠を取れるような環境を整備することが大事なのです。

 

十分な睡眠を摂ることのできる人生こそ理想的であり、誰もが十分な睡眠を摂ることのできる社会こそ理想的である 

皆さんはどう思いますか?