ふと思ったんだけど

言葉にすれば、何か分かるかもしれない

目的・手段の枠は結構自由に動かせる

こんばんは、どこかの誰かです。

ここのところ企画等で盛り上がる系の記事を書いていました。通常のよくわからん記事を書くには久しぶりですね。

今回は、目的と手段、その設定について書いていきます。

 

目的と手段は大差ない

最近よく「目的と手段ってどう違うんだろう?」と考えています。考えれば考えるほど、目的と手段は不可分で連続的なものであるように思えてきます。

実験として、朝食に目的と手段を位置付けてみます。

  • 朝食を食べるという目的のために、朝6:30に起床するという手段をとる
  • 1日元気に活動するという目的のために、朝食を食べるという手段をとる

この時点で既に「朝食」は手段でも目的でもあります。「6:30の起床→朝食→1日元気に活動する」という時系列があって、この上を「四角形の枠」がスライドしているだけなんです。

このように、目的と手段は「時間のヒモをどこで切るか」という問題でしかないと思うのです。

 

手段・目的設定の自由度の高さを認識する

目的を設定し、それに応じて手段を設定する。それは時に必要な姿勢だと思います。しかし、朝食の例でみせたように、何を目的と設定し、何を手段と設定するか、その切り取り方は実に自由です。その自由度の高さを認識することで、僕は少し生きやすくなったと感じます。

具体的にどう生きやすくなるか、という話で、就活を例に話そうと思います。就活は手段なのか目的なのか。冷静に考えて両方であるはずです。

しかしここで、多くの人がそうであるように、就活は目的であると考えていたとしましょう。OB訪問、説明会参加、ES添削、インターンシップなど、就活の手段は数多くありますが、それらの間を行ったり来たりしている中で嫌になってしまうことはあります。内定という目的を達成できない場合は特にそういうメンタリズムになります。

そこで少し考え方を変えます。就活は豊かに生きるための手段の1つであるという風に切り取り方を変更するんです。そして、豊かに生きるための他の手段について想像を膨らせます。読書をすれば人生は豊かになる。いい音楽を聴けば人生は豊かになる。就活はそのような数多の手段の中の1つに過ぎないんです。

読書、音楽鑑賞、それらと同じように、就活に取り組めばいい。そう考えることで、僕は少し生きやすくなりました。内定はないけどね。

このような切り取り方の変更は、幸せになるための思考法とかスピリチュアルとか、どこか現実逃避的な色を感じさせるものではありません。ただ「目的と手段はスライド可能である」という上の朝食の例で示した事実を運用しているだけです。この切り取り方の変更、枠のスライドには、逃避的な色はないと思います。

 

手段や目的の設定の如何は切り取り方の問題で、切り取る枠は自由にスライドできるものだと考えると、少し生きやすくなるのではないでしょうか。

  

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