ふと思ったんだけど

言葉にすれば、何か分かるかもしれない

無意味な苦手克服

どうも、どこかの誰かです。

今日は後から思えば当たり前のことについて書こうと思います。

 

克服(空振り)

僕はオールラウンダーになりたいという風に思っていると思っています。無茶な話ですが、運動もできて、勉強もできて、芸術の造詣が深く、リーダー性があって、語るべき夢があって…みたいな、あらゆる好条件を積分したような完璧な人間を目指したいという思いがどこかにあると思っています。

その一方で、自分の今までの行動を顧みていると、本当に自分がそう思っているのか疑問に思うことがあります。例えば僕は初対面の人と雑談するのが苦手です。それを克服したいという思いがあって色々な訓練をしていますが、このテーマに対してだって、全力で取り組んでいるかというと、微妙。色々なことを試して、意識も変わってきてはいるけど、どこか空振りしている感覚があります。

 

目標から克服すべき苦手を洗い出す

何のためにオールラウンダーを目指すのか?その問いに対して自分は「自分を好きになるため」と答えてきました。だけどこれは理由として有効ではない気がしてきたのです。自分を好きになることは終着点ではない。自分を好きになった先に何があるか?そこを突き詰めなくてはならない。

例えば、自分が卓球の選手で、卓球の試合に勝ちたいという目標があったとしましょう。その目標の中に失点をしないということがあって、その中で特定のテクニックを磨く必要があると判断されれば、その苦手を克服すべく練習メニューを見直すわけです。目標から逆算して計画的に苦手を克服した時にこそ、その苦手を克服した事実に価値が与えられる

僕は初対面の人と雑談することの苦手を克服したいという思いがあって色々な訓練をしていますが、自分なりに練習メニューを先に用意してやってみてはいるものの、それによってどういった効果が実戦の場で得られるかは、自分自身でも見当がついていないのが現状です。効果を感じることのない練習、効果を感じられるかどうか分からない練習を、ただ延々とこなしている空虚な感覚を抱きます。

技術的には、何のために初対面の人との会話力をつけるのかを明確にしなくてはならない。あるいは最低限、初対面の人との会話が成功したとみなすための基準を設けなくてはならない。しかしいずれもやり方がよく分からない。この現状、どうにかしなくては。

 

「苦手」という言葉を捨てる

ここまで書いて、あることに気がつきました。「苦手」という言葉がいけないのかもしれない。苦手というのは感覚的で、その根拠は必ずしも定かではないし、実は他人から見れば自分が思っているほど深刻なものではない可能性もある。それゆえに目標化しづらく、対策も立てづらいのではないか、と。

むしろ、苦手ではなく自分の「課題」と言った方がいいかもしれない。これは自分の課題である、と、そう断言できるだけの根拠と現実性を持たなくてはいけないのかもしれません。

 

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