ふと思ったんだけど

言葉にすれば、何か分かるかもしれない

「好きにすればいい」は、何も救えない

こんばんは、どこかの誰かです。

ブログ論を書くのも読むのも好きなのですが、未だに違和感を覚えるフレーズがあります。「好きに書けばいい」です。今回はそれについて書いていきます。

 

好きにやればいい

この後に続く文ってなんだと思いますか?僕はこんなものを想像します。

  • 「好きにやればいい。どうせただの趣味なんだから」
  • 「好きにやればいい。どうせ一生なんて続かないんだから」
  • 「好きにやればいい。どうせ他人は他人なんだから」

どうせ、どうせ、どうせ。なんだ、この盛大な諦観は

僕は「好きにやればいい」というフレーズの裏に、このような冷たさを感じてしまいます。だから何の慰めにもならんと思ってしまうのです。

悩んでる人って「好き」ってのが何なのか分からなくなってると思う。そういった人たちに対して投げかけられる「好きにすればいい」は、癒しというよりむしろフラストレーションの原因になると思うんですよね。

 

それでは何も救えない 

僕はドライな人が好きなのですが、なぜ好きかというと、彼らには安定感があるからです。自分がまずい状況に置かれていても、その人に相談すれば精神的な安定性は取り戻せる気がするのです。

マイナスをゼロに持っていく上で、ドライな人材の存在は有効である。ただ、やはり、プラスをより大きなプラスに持っていくということに関しては、ドライな人にはなかなかできないと思います。

極論を言えば、ドライなタイプの人は、穴に落ちた人を穴の中で安心させることはできても、その人を穴から救い出すことはできないって感じですかね。

とはいえ、僕もかなりドライな人間です。性格診断もそれをちゃんと見抜きましたからね。笑

sourceone.hatenablog.com

ブログなんて好きなように書けばいい。これは実にドライな発言だと思いますし、虚しさを覚えます。他のブロガーは結局あかの他人なんだ。そんな人に対して自分ができることなんて、大したことないだろう...でも僕としてはその諦観を受け入れたくないのです。何かもっと別のものがあると信じたい。それが何なのか、まだ見つかってないんだけどさ。

 

好きにすればいいじゃん?

ほんと、何事もそうだと思うし、それゆえに、何も救えないんだと思います。