ふと思ったんだけど

言葉にすれば、何か分かるかもしれない

間もなく自分を切り離します

こんばんは。恋話が嫌いな作者です。恋愛関係の話になると特に多いのですが、

あの頃の自分はああで、今の自分は違う

みたいなことを言う人、いますよね。僕はそれってどこまで本当なの?と思ってしまいます。今回はそんな話です。

 

作られた自分たち

最近「誰かのために自分を演じるのに疲れた」みたいなメッセージがやたらと目につきます。自分らしさとか、ありのままの自分とか言って、「その自分は自分ではない」という風に、過去の自分を切り離そうとする。これに関して2つ思うことがあります。

まず「自分を作る」ってそんなに簡単ではないと思うんです。「演じ分け」なら多かれ少なかれ日常的に行っているけれど、自分を何かに合わせて完全に作り変えるなんて、普通の人間にはできないと思う。そんなに簡単に自分って変わらないでしょう。

そして、仮にそれが「作られた自分」だったとしても、その中には確実に「自分」が存在していると思うのです。「今までの自分」と「今以降の自分」の線引きがそんなに明確にできるとは思えない。

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過去に対する責任放棄

植物はどうやって排泄を行うのか?疑問に思って、調べてみたことがあります。植物の排泄の一部は落葉によって達成されているそうです。液胞とよばれる細胞内の構造に不要物を蓄積しておき、落葉によってその不要物を排泄する。

自分を作る行為って、それに似ている気がします。過去の薄汚い自分を切り離し、自分自身は綺麗になろうとする。確かにそれで綺麗になれるとは思うけど、美しくはないと思うんだよね。それに、そういう合理化は僕たちが意識的にやらなくても記憶が勝手にやってくれる。

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個人的には、自分の薄汚い部分が一番好きだったりします。自分が誰かを好きになる瞬間って、その人の上っ面が剥がれて内面のどす黒さが見えた時だと僕は思っています。それを自分に適用すると、自分のどす黒い部分が好きだ、ということになるわけです。

過去を変に美化するんじゃなくて、汚いままでいいから抱擁していたいなと、僕は思っています。

 

 

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それでは!