違うブログ

答えを出しながら、変わっていく。

僕たちに「老後」は与えられるのか?

こんばんは。将来年金をもらえるのかどうか、不安でならない作者です。日本の社会保障制度が崩壊すると叫ばれ始めてしばらく経ちますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

公務員の定年を65歳まで引き上げる方向で調整が進んでいるというニュースを目にしました。その時はふーん、という感じだったのですが、ちきりんさんの「これからの働き方を考えよう」を読んで考えが変わりました。今日はそれについて書きます。

僕らは年金をもらえるのか?そして、いわゆる「老後の生活」ができるのか?

 

定年の引き上げは財政問題に過ぎない?

定年を引き上げるということは、働く期間が延長されるということです。つまり、年金をもらい始める時期が遅れるということです。

年金の支給開始が遅くなるということは、社会保障制度上の金銭的な余裕が生まれるということです。なぜなら資本を増大させるための時間稼ぎが可能になるからです。支給開始を遅らせることで、予算に余裕を作ることができます。

僕自身はまだ年金の金額がどのように改定されているのか知りません。なのでこの見解は間違っているかもしれませんが、こうした対応は、政府の自己救済的かつその場しのぎ的な対策であるように思えます。ツケを後世=僕らに回しているだけなのです。

それを迷惑だと感じるほど僕はまだ社会的な金銭感覚が身についていないのですが、後になってからそのヤバさに気づくというのも嫌な話です。

 

年金支給開始の遅れと収入

僕の高校には再雇用の先生方がいました。彼らは、担任としてクラスを担当することはなく、曜日によっては学校に出勤しないという日もありました。

働いたことはないので断定的なことは言えないのですが、学校の職員に限らず一般企業でも、高齢の職員に関しては、重い責任を担うような仕事からは外す対応が一般的になるのではないかと想像します。

今までの年功序列的な会社であれば、年配の社員はそこにいるだけで高額の給料をもらうことができたはずです。しかし、そうした負担の少ない仕事に回されたら、それらの社員の減給は免れません。

つまりは、給料が低い状態で会社残留を余儀なくされ、しかもその期間は年金の支給がないわけです。これって結構過酷なのでは?(コメントで指摘いただいたのですが、ここは間違いと思われます。知識不足です)

 

老後に関して

僕の祖父母たちには、健康があって、時間があって、できることもたくさんある。老後も悪くないな、なんて思わせてくれます。

一方で、僕たちの老後はどうか。

定年が引き上げられたり、年金の支給開始が遅らされたりしたら、僕らはより長い時間を労働に費やさざるを得なくなります。老後と呼べる期間が短くなるのです。場合によっては持っているお金も祖父母と比べて小さいかもしれない。

働き潰されるような人間にはなりたくないけど、勝手に制度や時代がそういう方向に進んでいるのかもしれない。そう考えると、少々陰鬱な気分になります。

 

こんな労働もどうぞ

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それでは。

 

俵の作り方を知っているか?

こんばんは。お米大好きな作者です。米が好きすぎて、僕の家のお米は俵で送られてきます。冗談です。

でも、もし送られてきたらどうやって開けようか?そんなことを考えながら読んでみてください!藁←

俵はどうやって作るのか

 

俵の構造

俵は、トイレットペーパーの芯を両側から蓋で閉じたような構造になっています。この芯に当たる部分を「菰(こも)」、両側の蓋に当たる部分を「桟俵(さんだわら)」と呼ぶそうです。

俵の基本工程は以下のようになっています。

  • ①菰を作る
  • ②桟俵を作る
  • ③これらを接合する

では、①から順番に追っていきます。

 

①菰を作る

用意するのは一定の長さに切り揃えた藁。菰を作るための専用の道具を使い、藁紐で切り揃えた藁を編んでいきます。

その結果出来上がるのは、藁でできた葦簀のようなものです。この藁の葦簀(漢字がえげつないぜ藁)を丸めて端を中に折り込めば、菰の出来上がりです。

 

②桟俵を作る

ある長さに切り揃えた藁を、真ん中で縛って束ねます。真ん中がくびれ、両側が広がった状態になります。

次に、縛った位置で藁を外側に折り曲げて潰し、平たい円盤状にします。

しかしこれだけでは簡単に壊れてしまいます。そこで、この藁の円盤の上に、少し小さめの皿を載せます。その皿からはみ出た部分を編み込んでいき、完全に縁を閉じます。こうして閉じた藁の円盤が出来上がるのです。

 

③これらを接合する

菰を作るときに、桟俵を接合するための藁紐を編み込んで、遊ばせておきます。完成した桟俵を菰に載せたら、その余らせた紐を使って固定します。

そして最後に、菰が広がらないよう押さえつけるように3箇所を縛り、俵の出来上がりです。

 

最後に

画像がないと理解が厳しいですね藁←

それでも、「何が何でも藁で梱包してやろう」という先人たちの意地を垣間見たような気がします。勉強になりました!

 

参考

米俵の作り方を教わってみた | 田舎暮らしをおすそ分け いなかマガジン | いなかパイプ

oishiitanbo.jp

 

こんな包みもどうぞ

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それでは!藁←

 

理系の僕が苦手な国語読解を克服した方法

こんばんは。理系の作者です。

僕は高校2年まで国語が大の苦手科目でした。自分並みに嫌いでした。そして高校2年までは、国語ができない自分を許していた部分があります。自分は帰国子女だし、理系だし、とか、いろいろ言い訳をつけて。

しかし、高校2年生の時、その考え方を捨て、国語を戦略的に克服することに成功しました。今回はその話をしましょう。

理系が国語を克服するには、どうしたら良いか?

 

国語は感覚だけで解くものではない

以前の僕の最大の勘違いは「国語の問題は感覚で解けばよい」と信じていた点にあります。

僕は「量的に問題をこなしていれば、解けるだけの感覚が勝手に身につく」と考えていました。改めて書いてみると、なんとも馬鹿馬鹿しい発想です。ディープラーニングじゃあるまいし。戦略が無いし、そもそもこれで成功すると思っていた時点で無理だったのです。

そんな僕が国語観を改めるきっかけになった出来事が2つあります。

 

転機1:古典の授業

1つは、高校の古典の授業。古典の授業では、古文の品詞分解と現代語訳を授業前の予習としてやることになっていました。

古文の中には、当然わからない単語が出てきます。それを辞書で調べると、複数の意味があったりします。どの意味がその文脈に合うのかを考えながら、現代語訳に落とし込んでいきます。授業では自分がそう解釈した説明を求められるので、根拠もきちんと用意しました。

これこそがまさに読解そのものなんだと、僕は後から気づきました。解釈を論理的に構築するという行為を、僕はそれまでやったことがなかったのです。

 

転機2:某予備校講師

某予備校講師の体験授業を某予備校に受けにいきました。正直、この先生、そんなにもてはやされるほどか?という印象でした。

ただ、先生が理系の出身であること、そして解説をそれなりに理解できたことが、僕に自信をくれました。国語は理系脳の論理的思考で解けるかもしれない、という自信です。

こうした2つの経験から、僕は国語に関する考え方を改めました。

 

国語にも「導出過程」はある

数学や物理の良いところは、回答に至るまでの明確な道筋があるということです。しかしこうした性質は、決して国語に無いわけではないのです。正解がある以上、そこに至るまでの正しい過程が確実に存在します

理系の人間であれば、数学や物理でその過程を理解することはさほど苦ではないはず。それに費やす努力を、国語でも同じように費やせばいいんです。

それに気づくのが、僕の場合、あまりに遅かった。ですが、ここからの挽回はなかなか速かったと自負しています。

 

僕の戦略

これらの経験を踏まえて僕が立てた国語戦略は、簡単に言うとこれです。

「自分を説得できるまでひたすら論理を詰める」

問題を解いて答えが違った時は、解説を読み、自分の答えがなぜ間違っているのか、その理由を徹底的に検証しました。

納得できなかった場合は、国語の先生のもとに問題を持っていき、解説をお願いしました。先生にアクセスできない時は、周りの大人を捕まえました。ともかく、自分の回答が間違いであることを、自分自身に認めさせる努力をしたのです。

問題集の選び方も一新しました。国語の問題集は解説が一番大事、とよく言われていましたが、正直何も考えていませんでした。その基準を新設しました。基準は「自分がその解説と十分に議論できそうか」です。

国語読解は自分を説得する作業です。その説得力が解説の文章にあるのかどうか、というところを見て、問題集を選んでいました。

 

理系なら仮説に囚われるな

理系脳の最大の武器は論理的思考力、そしてそれを突き詰める能力です。一見するとこの能力は、小説や随筆が求める「感性」とは異なるもののように思えます。

しかし、感性は人によって異なります。そんな不確かな感性を磨くより、理系脳を本気で駆使し、論理で国語読解を押し切る方を僕は選びました。その方が確実に正解に近づけます。

何れにしても、まずは「理系だから国語ができない」という未証明の仮説に囚われないことが大事です。「理系的アプローチで国語を乗り切ることができるかもしれない」という仮説に切り替えましょう。僕はその証明に成功したと思います。

この記事を読んだ皆さんも、その証明に全力で取り組んでみてください。きっと自分を驚かすことができます!

 

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それでは!

 

「本気の嘘発見器」を知っているか?

こんばんは。嘘をつけない作者です。

「Dr. Phil」というアメリカのテレビ番組をご存知でしょうか。犯罪心理学に精通し、公安勤務経験のあるフィル博士という人物が、問題を抱えた家族の相談にのり、その解決をステージで手助けするという番組です。

www.youtube.com

一見無害な企画ですが、アメリカだけあって、取り扱う内容はかなりシビアです。薬物依存の親と親権問題が起きた、近親相姦疑惑が浮上した、などなど。

さて、そのなかで、ポリグラフ検査というものが登場していました。どうやら本格的な嘘発見器のようなものらしいです。

ポリグラフとは、何か?

 

ポリグラフは機器の名前

ポリグラフという言葉は、嘘を発見するための手法を示した名詞ではありません。

複数を意味するポリ、そして計測を意味するグラフ。ポリグラフは、複数の生理反応を計測することなのです。厳密には、そうした計測を可能にする機器のことを指します。

ポリグラフ機器は、以下の製品のように、心臓疾患を検知するなど、医療にも使われています。

www.nihonkohden.co.jp

 

ポリグラフ検査とは

番組で紹介されていた嘘を暴くためのポリグラフ検査は、以下のようなものでした。

  • 被験者に対し、YesかNoで答えられる同じ内容の質問を2度する。ただし、言い回しは変える。
  • 被験者にはセンサーを取り付け、それぞれの回答時の生理反応を記録する。
  • 生理反応を点数化し、答えが本当か否かを判定する。

映像に出ていた被験者は、胸と腹部に測定器をつけていました。

 

厳密には嘘発見器ではない

ポリグラフ検査は、公安当局による本格的な捜査にも用いられます。工作キットで簡単に作れるような嘘発見器とは訳が違います。そもそも、厳密にはポリグラフ検査は嘘発見器ではないのです。

psych.or.jp

こちらのサイトによれば、ポリグラフ検査は「それを知っているか否か」を判定するもの。知っている情報への言及があったときに被験者が示す生理的な反応を感知するようです。「○才から○才までの間に誰々を強姦したか」といったように、具体的な話が質問の中にでてくるのもそのためです。

嘘発見というよりは、真実発見の方が近いかもしれません。

 

番組によれば、ポリグラフ検査の判定精度は90%以上だそうです。

人工知能ポリグラフと合わさったら、人間は本当に嘘をつくことができなくなるかもしれませんね。

 

こんな嘘もどうぞ

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それでは!

 

自分のブログをもう一度読みたいと思えるか?

こんばんは。自分の昔の記事を読み直した作者です。

色々考えた結果、このブログは残しながら、ブログを新たに立ち上げることにしました。今回はその経緯について書いていこうと思います。

今書いている自分のブログを、自分で再度読みたいと思えるか

 

自分のブログがつまらなくなっている

自画を自賛しますが、このあたりの記事は、個人的に面白く書けたと思っています。

カップルって過大評価されてないか? - 違うブログ

努力次第で記事は面白くなるのか? - 違うブログ

【食べ始めたらそれが最後】止まらない要注意お菓子3選 - 違うブログ

全力で内容がゼロの記事を書いてみる - 違うブログ

ハイなヒールの物理学 - 違うブログ

べ、別に、宣伝じゃないよ!みて欲しいなんて微塵も思ってないんだからね!!

一方で、最近の記事には、これほどの若々しさや活力がありません。平成最後の夏を謳歌する若者感が全然ないんです。

それに、自分でもう一度読んで楽しいかというと、そうでもない。何のために公開しているのかよくわからないものばかりだと気付きました。

 

つまらなくなった原因

あるとき、ブログが自己分析にはもってこいだと僕は気づいてしまったのです。文章化することで思考整理もできますし、記事のネタにもなる。一挙両得だということに、気づいてしまったのです。

しかしそこには読者の存在は無かった。そうして辻褄合わせ的に書かれた記事によって、このブログの面白さは、僕にとっても読者さんにとっても、減少してしまったと考えています。

そこで、

 

ブログを分岐させます。

自己分析系の記事は、別のブログに移管しようと思っています。高度に個人的な話が登場すると思われるので、その自己分析専用ブログは非公開にします

それ以外のコンテンツ、皆さんにも伝えたいなと思ったこと、皆さんにも楽しんでもらえると思ったことは、こちらのブログで引き続き投稿していこうと思っています。毎日更新のペースは維持します。

 

最後に

自分で書いた記事を後でもう一度読みたいと思える…このブログとは長い付き合いになりそうなので、そういう記事を集めた、純度の高いブログにしたいと思っています。

ここまで書いてふと思ったのですが、これ、自分の記事の面白さハードルを自分で上げる行為ですね、、大丈夫かな??

それでは、これからもお願いします!