ふと思ったんだけど

言葉にすれば、何か分かるかもしれない

僕の知らないところへ

新幹線や飛行機の窓の外のすっ飛ばされていく風景を見ていると、決まってある妄想が広がりだす。今ここで飛び降りたら、どんな世界に着地するのだろう、と。

ある本の話をしよう。航空パイロットが砂漠に不時着。水もなく、食料もなく、遊牧民に巡り合い水を恵んでもらえることを期待して、パイロットは砂漠を彷徨う。そしてある時、彼は砂の中に一つの黒い石を認める。歩き回っているうちに彼は一定の密度でその石が周辺一帯に散らばっていることを発見する。それらは紛れもなく隕石であった。雨のないその地で、これらの隕石は一定の確率と一定の間隔で降り続け、数百年、数千年、数万年も前からそこに存在していた。まるで不可侵領域の守護符のように。そして彼はその聖域に人類で初めて足を踏み入れたのだった。

自然からすれば現代の都市はまさに窓の外ですっ飛ばされていく風景だ。全てに人間の手が入り、目まぐるしいスピードで更新されていく。不可侵領域はもはや存在しないかもしれない。ブログも同じだ。毎日膨大な数の言の樹が植えられ、葉を膨らませ、力尽きて枯れていく。僕が書いていることなど、すでに誰かが考えてしまっているに違いない。考える意味などないのかもしれない。

だが、すっ飛ばされていく風景を見るたびに、ほんの少しだが期待が湧いてくるのだ。もしかしたら、すっ飛ばされていく風景の中に、人が到達したことのない地点が存在するかもしれない。ブログも同じだ。十文字抜き出して検索をかけてみると、一つも結果がヒットしないなんてことがある。僕が植えた言葉の樹の中に、人が発見したことのない新種が存在するかもしれない。小さな一歩を踏み出すだけで、小さな言の葉を一つ認めるだけで、僕は人の新たな座標に到達できるかもしれない。その期待をもって僕は今日もまた一日を過ごす。だから君たちは発見されるまで大人しく待っているがいい。

 

sourceone.hatenablog.com

sourceone.hatenablog.com