違うブログ

どこかの誰かが書いたやつとは違うブログのこと

ブログを継続する本当の楽しさって、なんだろう?

こんばんは。継続者です。今日も無事更新できました。

ブログ界隈を見渡してみると、記事が書けない、と嘆く人が結構います。特に、稼ごうとしているけど稼げない人たちに多いセリフ。そうした人たちに対し「ともかく継続だ」と焚き付けるブロガーもまた多いことで、本当に可哀想だなと僕は思ってしまいます。

今回は、自分に確認する意味も兼ねて、僕にとってのブログ継続の意味について書いてみます。

ブログを継続する本当の楽しさって、なんだろう

 

自分を最もよく知る他人

10歳の時、小学校で、10年後の自分宛の手紙を書きました。当時の担任の先生がそれを預かり、成人式に合わせて、その手紙が僕の家に送られて来ました。「お前が将来何になっているかはわからないけど、お前が今の自分に満足していることを願う」なんてことが書いてあって、僕は本当に成長していないな、なんて思った次第です。

その手紙はせいぜい500文字くらいの長さでした。15分くらいで書き上げた代物です。当時の僕は特別何も考えていなかったでしょう。思い浮かんだことを、そのまま黒鉛の軌跡に落とし込んだだけでしょう。

でも、長い間寝かせられたワインのように、時間が過ぎると何気ない言葉が徐々に高い価値を獲得していくのです。10年前の自分と今の自分は、別人であるようで、別人ではない。自分を最もよく知っている他人から言葉をもらうようだ、と言えば良いでしょうか。

そしてこの経年優化的な性質は、ブログにも当てはまる性質だと思うのです。

 

20年後が楽しみ

このブログを始めてからもう少しで300日になります。少なく見積って一記事800文字とすると、このブログには既に24万字があることになり、成人式の手紙の480倍の量になります。言葉の濃度には自信はありませんが、言葉の体積に関しては圧倒的に多い。総重量は結構なものになっていると思います。ブログが無ければ、これほどの量を書く機会はなかったでしょう。そこは本当にはてなブログに感謝ですね。

300日前に自分が書いたものを読み直して、すでにそのタイムマシン性に驚かされている始末です。これが20年経ったら、どれほど自分にとってすごいものになることか。想像しただけで、ワクワクします。

何十年も自分を書き続けていった先にどのような「自分」があるのか、僕は自分の目で見てみたい。それが本当に楽しみだ。それが僕にとっての継続の最大の意味だと、今、ここで宣言しておこうと思います。