違うブログ

どこかの誰かが書いたやつとは違うブログのこと

暇すぎて死にそうならブログ書いてもいいんじゃない?

こんばんは。ついに自分のブログが日記ブログであることに気づいた作者です。今回は日記とかブログとか継続について書きます。

 

日記とは何か

僕はブログとは別に「日記」を書いています。でもそれはちょっと変な日記です。

例えば、実につまらない、小規模な講演会にいるとしましょう。流石に失礼なのでスマホを開くこともできないし、パソコンを開いて作業することもできません。

そういう時、僕のノートが活躍します。書く内容は、なんでもあり。頭に思い浮かんだ言葉をとにかくそのまま書きます。テキトーに講演者の視線を捉えて頷きつつ書き殴っていれば、講演のメモを取っているクソ真面目学生を装うことができる。実際は全く関係ないことを書いていたとしても、怪しまれることはないのです。むしろ好印象かもしれない。笑

僕がこのノートに何かを書くのは、状況が許した時、かつ、他にやることがない時です。でもそういう機会って安定して訪れることがないんですよ。電車内で書くにしても手元の安定性の観点から座席を獲得できた日にしか書けないし、講演会でも講演者との距離が近すぎたら書けない。書けるタイミングの訪れはほぼ偶然なんです。その結果、何日か連続で書くこともあれば、二週間以上書かないこともある。完全にポアソン過程に従っています。

これをしばらく続けていて、ある日ふと気づきました。日記って毎日の出来事を欠かさず記録するものだと勝手に思い込んでいた。けれど、僕が今ノートに書いているこのメモって、もしかして、所謂「日記」というやつなんじゃないか?と。

 

ブログ初心者に贈る言葉

はてなブログのThis weekのお題で「ブログ初心者に贈る言葉」ってのがあって、僕が好きなブロガーの方々は口々に「好きな時に好きなことを書けばいい。楽しむのが一番」とおっしゃっていました。もっともだと思うのですが、同時に違和感を覚えました。

ブログは確かに楽しいけど、全部が好きってことはない。続けていれば多分どこかで楽しめなくなる。続ければ続けるほど楽しみづらくなっていく。だから、楽しさをブログの軸に据えると、楽しめなくなった瞬間に頓挫すると思うんです。実際自分がそうなりかけた。

それ以外に何かあった方がいいんじゃないか、と考えた時に、僕は自分の「日記」を連想したのです。

自分の「日記」には「あまりに暇だから」という理由で心に浮かびゆくとりとめのないことを書き殴っているものですが、これ、結果的にめちゃくちゃ継続性があるんです。暇な時間が1分でも生まれたらノートに何か書ける。1分の暇もないほど忙しい人生を歩んでいる人って存在しないと思う。だから結果的に続く。

だから、僕は敢えてこう言いたいのです。

何もやることがなかったら、ブログを書いてみるのもいいと思うよ。もっといい暇つぶしの方法が見つかるまでの間ね

 

 

P.S.

マネタイズにしろそうでないにしろ「ブログは継続あるのみ!」ってのは若干卑怯だと思うんです。ある人がブログでは稼げないと悟ってブログを辞めたとしましょう。ブログで稼げている人たちは、それをどう説明するか?「続けていれば、稼げたかもしれない」。つまり「ブログは継続あるのみ」と言っていればブログを辞めたことを稼げなかった原因に据えられるわけです。でもそれって本当は何の説明にもなっていないじゃないですか。