違うブログ

どこかの誰かが書いたやつとは違うブログのこと

ブログの永遠性って残酷だよね

死んだ後も僕のブログは一応ネット上に存在し続けるでしょう。ほぼ永遠のようなものです。でもその永遠性って残酷だと思うんです。今回はそんな話をしましょう。

 

ブログは常に衰退している

数ヶ月ほど前に、ブロガーが襲撃される事件が起きました。それをきっかけに彼のブログを見に行った人はきっといたはずです。しかしこれだけの月日が過ぎると、そんな人も激減し、今となっては彼のブログを訪問する人など滅多にいないでしょう。どんなに閲覧者数が減ろうと彼のブログはネット上に存在し続けます(厳密には、はてなが無くなるまでは)。

投稿され、そして散っていく、数多の言の葉。そんな枯葉がプラットホーム上に蓄積されている。僕は時々そんな郷愁をブログに感じます。

 

「自動更新されるシステム」としてのブログ

このブログの管理画面には現在、10個の下書き記事が予約投稿してあります。つまり、僕が今この瞬間消えたとしても、「ブログ上の僕」は10日後まで生きていることになります。

この10日の間、ブログを読んでいる皆さんは、僕の消失に気づかないでしょう。更新が止まって一週間くらいしたら誰かが気にかけてくれるかもしれないし、あ、こいつも終わったんだなと見放されるかもしれない。所詮はその程度です。

1つの思考実験として「365個下書きを用意して、一年間毎日自動更新」ができたらどうなるか、考えてみると面白いかもしれませんね。そんな"放置"ブログに価値はあるのでしょうか?

 

正解としてのブログ

エーコは「説明できないものは物語られなくてはならない」という言葉を遺しています。ですがブログは物語ではありません。ブログは基本的に「正解」です。検索流入は正解を求めてくる人たちの集まりであり、ブロガーは自分の答えを以ってそれを受け止めます。

ただ、ブロガーの正解には普遍性がありません。ある人にとっては正解でも、他の人にとってはそうではない。「幸せとは何か?」「平和はどうやって実現するか?」。普遍的なのは、そういう「問いかけ」の方だと思うのです。

そして、問いかけのみをして去っていくことは、ブログという表現形態ではできないと思います。少なくとも僕にはできません。

 

なんでこんなこと書いたのか、自分でもよく分かりません。笑

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