ある会話
「結局、来週の旅行は中止しないの?」
「うん、決行。行き先は人少ないって話だし、飛行機めっちゃ安くなってるし。学生最後だし」
「そっか」
Sはそう言ってインスタントコーヒーを啜った。
この会話は二度目である。つい数日前、自分たちがそれぞれ控えた旅行を中止すべきかどうか、議論になった。こういうかたちで蒸し返される話題で楽しいものはあまりない。コップを握る手に少し力が入る。
Sは友人たちとの旅行をキャンセルした。企画したのは私だし、こういう時に中止を提案するのは私の責任でしょ。他の誰にも言い出せない。Sはそう言っていた。でも、誰からも提案がなかったってことは、みんな行きたいと思ってたってことでもある。Sはそれを潰したのだ。でもSはそれを自身の英雄譚として語っているように見えた。私としてはこの話題を持ち出されるのはやや不愉快だったが、それを分かっていてなおこの話題を持ち出すのは、そういう自己正当化メカニズムが動いていることの証明のように思われた。
「結局さ」二度目のSはコーヒーに話しかけた。「個人の判断に委ねられてる部分が大きいじゃん?でも、事態はもはや個人的な域を逸していると思うの」
ああ、そういうことか。私は個人的なレベルでしか物事を考えられない、社会の一員としての良識に欠けるって言いたいのか。
「私たちが旅行したって人に迷惑はかけないと思うよ?飛行機ガラガラだし、まだ入社してないから会社に迷惑をかけることもない。家族に対する責任は人によってはあるかもしれないけど、私は一人暮らしだし」
コーヒーを啜る。
「それに、これだけ全国で発症があるのなら、もはやどこにいたって同じだと思う。罹る可能性が決行しようがしまいがあまり変わらないなら、旅行したっていいんじゃない?」
Sは私をみた。彼女の感情を目から推測しようとしたが、自分の妄想が反射してくるだけだった。私が旅行に行っていることへの嫉妬?正義を盾取った復讐?ダメだよ、Sに私は止められないよ。さっき、個人の判断に委ねられてるって認めたよね。
「そうね」
Sは結論が出たかのようにコーヒーを飲み干した。
「日本政府もあなたを止めることはできないよ」
今日の一曲