何もしなかった私たちへ
<2020年5月27日公開>
「旅行キャンセルしたんだけどさ、なんか私がアホみたいだよ。周りの人たち結構旅行行ってるし、なんなら飲み会とかも普通にやってる」
「まあ所詮他人は他人だからな」
「そういう問題?これは国難でしょ。みんなで行動自粛しなきゃ意味がない」
「全国民みんなでやることが現実的に不可能である以上は、そういう”他人”の発生は防げない」
「…」
「てか、自分がよければそれでいいって前言ってたじゃん。なぜ文句があるんだ?キャンセルという判断に納得してるんじゃなかったのか?」
「…行ったとしても、道中、旅行しない方がよかったんじゃないか?って、ずっと罪悪感を抱えてたと思う」
「いずれにしても納得できないってか」
「そう」
「…」
「…」
「…まあ、感染症は理不尽だからな。納得なんて期待する方が間違ってるのかもな」
「葬式もまともにしてあげられない、見込みがないから人工呼吸を外さざるを得ない、臨終に立ち会えないなんて話聞くと」
「不要不急のキャンセルごときで何を悩んでるのか、という話にもなる。俺らには思いやりが足りないのかもな」
「そうかな?」
「俺が旅行キャンセルしたのは、本当に旅行行くのが間違いだと認識してたからなのか、少し疑問なんだ」
「え、違う理由があったの?」
「いや、理由というか、キャンセルが決まったあとの俺自身の態度がひっかかかる。無性に旅行してる奴らを攻撃したくなるんだ。この攻撃的な態度は、納得できないという感情を打破するために必要だったのかも」
「正しさを対外的にも証明することで自分を納得させようとしたってこと?」
「そう。そして、本来的には思いやりがそこに入ってくるべきなんじゃないか。他者を攻撃することを通してではなくて、俺は他人を思いやって正しい判断をした、と考えることで納得すべきなんじゃないかと思う」
「思いやりがないとは思わない、あなたも私も」
「でも最初に出てきた反応が思いやりじゃなかった。これは反省だなぁ、素直に」
「私の場合は思いやりが先に来てた」
「さすがだな」
「でもさ、あなたが納得できないなんておかしいよ。あなたも私も正しいことをしたのに、それに納得できないなんておかしい」
「ウイルスってそもそもが理不尽だろ?」
「でもそれって当たり前じゃないでしょ」
「何が?」
「ウイルスがあるこの状況。私たちが旅行をキャンセルしなきゃならないこの状況」
「まあな」
「当たり前じゃない状況のなかで必要とされる対応って、当たり前なのかな。私はそうは思わない。私たちの必然的な判断も当たり前じゃない。当たり前じゃないことをやるのにはエネルギーがいるよ」
「いやいや、当たり前だよ。危ないからキャンセルしたんだ」
「じゃあなぜキャンセルしてない人たちがいるの?」
「彼らは彼らの当たり前を生きてるってだけじゃん?」
「違うわ。彼らは状況が変わる前の当たり前に頑なにしがみついてるだけ」
「…」
「私たちの判断は、何もしないという判断だった。成果がないから評価されることはない。けど、私たちの判断は、この当たり前じゃない状況で最も賞賛されるべき行為の一つだと思う」
「確かに」
「まあ、過度に賞賛するのも違う気がするけどね…私たちは現場で働いてる医者じゃないし」
「程度の問題だな。医者ほどの賞賛はやりすぎだけど、賞賛があったほうが、俺らにとってはやりやすい」
「何もしないことが評価されるようになったほうがいいと思う。その決断は簡単じゃないし、そう考えることで救われる人は少なくないはずよ」
「そうだな。何もしないことほど素晴らしいことはない」
「私たちは”よく”何もしなかった。英断よ」