違うブログ

どこかの誰かが書いたやつとは違うブログのこと

乱数生成6

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SNSの使い方は大別して二つあるとRは考えていた。一つは無料の図鑑としての使い方。好きなタイミングで見にいける場所として用意しておくもの、こちらが支配できる使い方。厄介なのはもう一つ、意外な出会いとか偶然の出会いとかそういうやつだ。これらの本質は異質性や予測不可能性で、これらは時に不快である。Rは「フォロー」という仕組みが嫌いだ。フォロー=常時接続であり、こちらの状況や感情に関係なく他者が介入してくることを許すことである。それが不快でありストレスだ。客観性を保ったりミスを指摘してもらうために他者の意見に対してオープンである、それはいいことだが、そういう教訓を得る場としてSNSが適しているとはRには思えなかった。

同僚のLは彼なりの付き合い方を見出しているようだった。それはSNSに対して閉じることだった。しかしそれでは少し寂しい。実際、全く反応がなかったらSNSの楽しみは大幅に薄れてしまう。「好き」は同質のものに向き、「愛」は異質なものに向く、という言葉を思い出す。SNSにおける愛…そんなものは果たして存在しうるか?希薄さが気持ちいい、距離が心地いい、それを前提とした世界で、異質なものに対する愛は芽生えうるか?

Rはスマホを閉じスマホと共に布団に転がった。天井をうつろに見上げるその目には愛の気配はなかった。