違うブログ

どこかの誰かが書いたやつとは違うブログのこと

弱音チェック

新規感染者40人で東京都知事が自粛要請を出したことが、3/25の日記に書いてあった。その後に続くオレ*1の焦った言葉を読んでも、オレはいまいちそれがオレのものだと信じられないでいる。今、新規感染者数はその20倍くらいで推移している。今のオレを、3月のオレはどう見るだろうか。弛んでいると批判するだろうか。気づかないうちに他人に感染させる可能性があるーーそこから導かれる結論は「極力人に会わない」以外にあるのか。“自分の頭で考え、私と同じ結論に到達すべきだ”。責任を取りたくないと思うことは思考停止か?なぜ戻らなくていいところに戻るのに必死なのか、なぜ別の可能性を発想しないのか、行動しないのか。そう言うのならまずは自分からやってみろ。自分で選んだことだから仕方ないだろうと人に言う。その言葉が自分に向く事態を想像しない、卑怯者。つながり。この言葉に安堵し、油断する。ネット越しに繋がっている。有線で、無線で、一応、物理的に。その事実に安寧し、つながりを構築済みのものとして諒解し、実際につながりを構築する努力を怠ったのか?誰もがつながることのできる時代にしか存在しない孤独をオレは噛み締めるのか。

この一年はオレの脆弱性を丸裸にした。1、対・親の強さ。2、Toxic Masculinityへの免疫不全。3、「見せる相手」の必要性、などなど。このうちブログに書くべきは、おそらく2、Toxic Masculinityとの関連だろうなと思う。Toxic Masculinityは、いわゆる男らしさと自らの価値観の不一致に起因する男のやりづらさと考えて貰えればいいと思う。男は泣いてはいけないとか、弱音や愚痴を吐かずに淡々とやるとか、そういうのですかね。上の世代にはわかんねーと思うなあ。

オレ自身そういうのに囚われてる感じはしていなかったんだけど、最近意外とそういうのに縛られてると感じるわけ。そういえば前Sさんに、同年代に話が通じねーんじゃねーの?と心配されちゃったけれど、そんなことはなかった、今までは。普段の会話の中にオレが本当に共有したいことを滑り込ませる感じで、カタルシスを得ることはできていた。換言の仕方次第で、オレから問いかけ、回答を得ることはできていた。

しかし、非対面、かつ新入社員同士で互いのことを知らない状況だと、そういうカタルシスは期待できない。じゃあ既存の友達とオンラインで話せばいいじゃん?って思うと、ここでToxic Masculinityが邪魔をするわけだ。孤独が人間の本質だとすれば、弱音も人間の本質なんじゃねーの?とオレは思うんだけど、弱音ばかり吐いてるのは男らしくないとかそういうイメージが邪魔をするわけ。8月に久しぶりに電話した親友とも、それまでは密に連絡とってたのにそれきりだし。どうなんだろ、他の奴らもそうなのかな?でもこれも共有できない弱音なんだろうな。そういう意味ではこれはブログにしか書けない内容なのかもしれない。いずれにしても来年は、もう少しこの辺り、ちゃんと闘わなければならない。

皆さん、ちゃんと弱音吐いてますか。

  

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*1:日記の一人称はオレ。画数少ないから