違うブログ

どこかの誰かが書いたやつとは違うブログのこと

スクリーンショット

そのスマホの電源ボタンにはスクリーンショット機能が賦与されていた。そのデュアリティーに翻弄されたのを覚えている。使い始めて一年くらいの間、画像フォルダは同じロック画面のスクリーンショットだらけになってしまった。何事も集約しようとする現代社会を僕は恨み、単機能型デバイス…腕時計、大根おろし器、使い切りカメラなど、たった一つの要求を充足することを目的とした純粋な機構…それら全てに対する無差別的な愛が僕の中に芽生える。しかしここで逆に考えてみる。スクリーンショットはパソコン、スマホ、画面を持つものの中でしか存在し得ない。そこに特殊性はないだろうか?

スクリーンショットフォルダを開いてみる。二年前に中国に行った時に使ったウェブ地図が危うく画面を通過しようとする。漢字を覚え、それを頼りに街を歩いた。漢字を分解して捉えられることの特殊性についての記憶が鮮烈に蘇ってくる。西欧育ちの西欧人にはまず獲得不可能な認識能力だろう。

何気ない写真が後に奥深いものとして突如立ち現れることがある。そのような場合、その写真を撮影した目的は、そもそも皆無か、時間経過によって実質的に消失しているか、そのどちらかである。スクリーンショットの多くは用済みとなれば早急に削除されるのが常だ。存在する価値が損なわれていたという点で、これらの写真とスクリーンショットは共通している。殊更スクリーンショットに関しては、特定の情報を保存するためだけに撮られているが故に、当時の目的が非常に簡単に再現できるという特徴がある。その点"何気なさ"の保存性能が優れていると言える。

デスクトップに使い終わったスクリーンショットのみを保管するフォルダを作る。画像のファイル名には撮影日時が無差別的に埋め込まれる。自己正当的に語られることを運命づけられていない不都合な物語が、ここから始まっていく。

 

 

sourceone.hatenablog.com

sourceone.hatenablog.com