違うブログ

どこかの誰かが書いたやつとは違うブログのこと

超雑談5

生半可なネタを廃棄する目的で書いたので、いつもより長めです。

 

  1. 陽キャ陰キャの二元論でいまいちピンとこないのが、で、結局何が理想なの?ってとこ。いや、両面的なのがよくない?っていう。陰陽フリー型キャラ。分ける意味は何?
  2. 中学くらいまで有効だった足が速いやつはモテるっていう単純な恋の方程式はどこいっちゃったんかね。角のデカさを競うヤギみたいで面白かった。足が速い”ほど”モテてチョコとか多くもらえるのか?足が速くなりすぎると逆にモテなくなるみたいな、ありそうじゃん。
  3. 現実というぼんやりとしたものに対する違和感をブログに叩き込む。その違和感はその曖昧さゆえに他人と直接的に共有することは難しい。だからブログという間合いのあるところで共感を求める。
  4. 偶然とは僕に関係のないところにあるものである。
  5. 雑なグルーピングを行うくせに自分がグルーピングの対象となることを強く嫌がる。
  6. 他人相手によいアドバイスができたと錯覚するのは、相手の経験と似た経験を自分もしていたから。つまり、相手にとって有益だったと感じられたアドバイスは、必然的に自分にも当てはまる。
  7. ブログは思考のセーブポイント。悪い方向に色々考え始めちゃった時に「そういやブログ記事でこう書いたな」って思い出して、また同じ負の思考ループに入り込むことを防ぐ。
  8. ミュートしたキーワード。不倫。浮気。熱愛。有名人はどうやらそういう恋愛しかできないようだ。
  9. ブログを書いて公開している以上、共感を得られるかもしれないという期待がある。それは非常に自己中心的でもある。リアルでの密接なつながりがない人間に対して「伝えたいこと」とか言うのはめちゃくそ傲慢なことかもしれない。
  10. この趣味にハマっている自分は不健全なのではないか?とよく勘繰る。僕の趣味はいずれも人と関わる必要がないもの。このまま趣味に没頭すると益々社会性が欠乏していく。まずいんじゃね?という危機感。だから、そんなのの何が楽しいの?身体動かしたほうがいい!人に会った方が楽しいに決まってる!と言われると、やっぱりそうなのかなー、というつまらない納得に溺れることになる。
  11. 風呂敷を広げた人を、なに調子乗ってんだと冷やかし、他人のテキトーに含まれることに抵抗する。しかしそれは本来”他人の意見”であるから、こちらから干渉しにいこうとするのが間違っている。「それ」が「自分」に関係していると錯覚する、風呂敷広げ。自己言及。詰み。
  12. 「相談すべきか否か」の判断が「ある特定の反応が欲しいか否か」の判断にすり替わると、こっちが選べるものになってしまう。それでは相談したことにはならない。
  13. マインドフルネスとか断捨離とか、効果はあるのかもしれないけど、結局は誰かの金儲けのために生み出されたジャーゴン。発想としては多分新しくない、どこかで聞いたことの寄せ集め。金をかけずに自分で編み出せる方がいい。
  14. 対面会話において、基本的には自分の話はしない方がよいと思っているが、自分の話をすることで抑制できるリスクもある。それは相手を傷つけるリスク。相手の僕に対する評価が下がるだけで済むから。
  15. 子供はいらないと話したら、でも育児もいいよーと返される。こちらの言うことなど聞いていないのだ。議論を必要としない「べき」に、なぜこちらが戦わなければならない?

 

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